今時の模型製作

海外のサイト を検索中、第二次大戦時の戦闘車輌が載った膨大な数の 模型サイト を発見。繊細で重厚な造りに

目が点になり早速製作してみたくなった。が、模型製作など流行ではないのか、模型屋も見当たらない。ネットで検索、

近所に模型屋さんを見つけ買いに行く。しかし店に入りにくい。マニアック そうな店主がいるからではなく、

「 いい歳をして模型?、暇なんだね、そんなもの作って面白いの?」 と云われているような気分になる。

勇気を振り絞って店内へ。(え?) 昔とは雲泥の棚揃え、山のようにある ブツ から 38cm 臼砲シュトルムティーガー を

選び購入。ズングリムックリ した形が私の好みにぴったり。パテ で ツィメリットコーティング を施し、仏壇から失敬した

線香の灰を塗料に混ぜて泥、埃を再現。最近の塗料は水性で、匂いもあまりせず塗りやすい。コーラ の アルミ缶 から

切り出した金属片で、細かい部品を製作。出来上がった臼砲を手に持ち、贅に入っていたが、ふと 「何やってんだろ、俺」


タミヤ や ハセガワ などの国産模型は、精密で組みやすく良くできている。もっと精巧に、緻密に、実車の寸法検証も

完璧に、と開発してきたのだから当たり前なのに、人間とは勝手なもので 味がない、雰囲気が、ダイナミック さに

欠ける、等々。今は、トランペッター、ドラゴン などの海外製品に人気があるのだという。値段は高く、組みやすい

とは云えず、モールド も大雑把だが、味があるそうな。

元々は、海外では大人の趣味、ホビー として定着しているのに、日本は 「出戻りモデラー」 や子供の遊びとしてしか

観られていない。「海外では」 「日本では」 どうだこうだ ではなく、自分が作りたければ作ればよいし、写真では

観ることの出来ない、車体構成、部品配置を知ることができるし、その お国の考え方を学ぶことが出来るかもしれない。

旧ソ連製の第二次大戦時の戦車は、故障も少なく簡素で被弾回避性能に優れていたが、戦闘能力を重視するあまり、

乗員の内部空間が身動きも出来ない位 異常に狭く、非常時には素早く安全に脱出できない構造で、

「戦車と共に野垂れ死に仕様」 または 「兵士は、取り替えの利く只の部品」 だったそうな。また、大戦初期の頃には

対戦車用ライフル が登場。ゴツイ身形の ライフル銃 を ドイツ戦車 に向けて発射。爆発的な力を与えられた高速弾は

装甲板を貫通できたが、反動も凄まじく 狙撃手自身の肩の骨を砕いてしまう事もあった。日本の名機ゼロ戦は

運動性能は良かったが、軽量化の為に被弾性能を無視した結果、パイロット の周りには他国の戦闘機と違って

防弾鋼が無く、撃たれれば ひとたまりも無かった。神がかり的な操縦技術と、弾に当たらないと念じれば敵の弾は

逸れてくれるという、訳の判らない精神論の考え方だったそうな。その点 ドイツ の戦闘兵器は、そんな あやふやで

精神がどうした、どうたらこうたら、などという漠然としたものではなく、どうすれば良いか、どれが一番最良か、と

考え抜いて作り込まれ、(時たま やり過ぎて考えすぎて、抜けている オマヌケ ぶり) 精神力も根性論も

取り込まれていないし、この戦闘機には 「神が宿っている」 などと思ってもいない。8ton ハーフトラック 20mm

4連高射砲 の模型を製作した事があるが、これでもかと言わんばかりの構造、デザインで、1門でも破壊的な

20mm機関砲 を 4門装着した回転塔や、戦闘員の配置など機能性と優美性を兼ね備えた完璧な造形品で、

足をかけて登る ステップ にまで手を抜かずに製作。(やり過ぎ) 初期の頃は、機関砲を 4門 同時に連射していて

反動の強さに回転塔が変形するほどの凶悪さ。直ぐに対角線連射に改良した 4連高射砲、訓練された照準手と

高性能な機関砲で、必要最小限の連射にも関らず、高速で飛行している敵戦闘機を撃破、その一両だけで

大打撃を与えたそうな。

fire
20mm FLAK Sd.Kfz 7/1

安直 模型製作 至低後座

modelmodel

出来の良い国産品なら、直ぐにでも組み上がって後は もう好きなように色付けすれば完成だが、エッチングパーツ を

買い込んで ディディールアップ しようとすると何時まで経っても完了しない。時代考証を切り込んで、モールド も深く

掘り進み、繊細で ダイナミック、模型表面の色艶、埃を被った泥はね具合も完璧に、重厚な作品一丁あがり、などと

妄想していると、一生 完成しない。だからといって闇雲に作業しても説明書通りに組み上げても、自分の思い描いたもの

との落差で落胆する。此処は お得意の ノウハウ摘まみ食い工作 として、片っ端から Web上 にある 製作工程ページ を

参考にさせて頂いて、パテ に 硬化剤 を混ぜるように練り込んでみたい。ところがなんとも 猿真似仕込み製作 など

やっても同じような仕上がりにならない。ウオッシング、フィルター、ウェザリング、ドライブラシ、塗料の剥がれ、錆、

雨垂れ表現など模型に筆入れすればするほど、トン でもなく変な方向に傾いていく。調べていくうちに、「理論と技術

だけでは駄目である」 との記述を目にした。海外製の SF映画 や 戦争映画 の建造物や戦闘兵器は見応えがあるが、

日本映画のそれは張りぼて、チャチ な模型としか見えない。海外では膨大な制作費を掛け緻密に作られているのだから

当たり前だと思っていたら、映画に使用された ミニチュア 展示会場のそれは、意外にも チャチ な出来で 日本製の

ミニチュア は繊細に作られていたそうな。ところがそれらが スクリーン に映し出されると、見た目が逆転する。

ということは失礼ながら、日本の映画用に ミニチュア を製作されている方々、映像を撮っている方は、どうすれば良いか

が判っていない。日本独特の映像美、独自の感性、日本映画界の長年の方法、淡い陰影、色彩感覚が持ち味ならば、

何故 外国映画のモノマネ などするのですかね。

経験が有っても映像に反映されなければ、独り善がりの 自己満足ミニチュア となってしまう。客観的に観て、どのように

すれば リアル で見応えのある インチキ臭くない模型 を製作することが出来るのか? 細部に拘り、全体の雰囲気や

質感を無視した工作、または実際の色合い、頃合いを当時の車両や小火器類に完璧に一致させたとしても駄目だが、

なにも 紫 や ドド迷路 の迷彩を施せというのではなく、自分の中で消化吸収したものを模型に昇華反映させる事を

念頭に入れて作業しなければならないし、匙加減、塩梅が微妙で感覚的なもの、教えられて判るようなモノではないのだ

そうな。別の意味での職人気質。中々 奥が深いですね。

” 物質には 色 がない。太陽の 七色の光 に照らされて、赤 は Red、緑 は Green、青 は Blue の色彩に光ってるだけ

である。”  黄色い蛍光灯だけの部屋の中は、全く違う世界が拡がってる眼の痛い、RED の表示が無ければ何色だか

判らない。 ということは、Ferrari Red の色調塗料を Model F40 へ塗っても意味が無い、と云うことか?。

つづく。

砂丘の オアシス 駱駝