挿絵師は 茨の道

何の気なしに国営放送の 教育チャンネル を眺めていたら、プロ の イラストレーター の作業風景が映っていた。

呆気にとられたのが、ペイントソフト だろうが イラストレーター の ペジェ だろうが 作業スピード が非常に速く、

頭で考えている事が、そのまま モニター に投影されているような左右の手が ソフトウェア に直結しているような、

何も考えていない ような ようなと、流石は プロ、まるで ロボット のように正確な仕事っぷり。タブレットペン を

使ってはいたが、右手に ペン、左手は 2、3本の指で ショートカットキー を叩き、挙句の果てに 口 に マウス でも

咥えるのではないのか、怪奇話のように背中から 3本目の腕が生えてくるのか、と思うほどの無駄の無さ。

速さを競っている訳ではないが、時間が勿体無い、焦っているのではなく自分の作品を早く完成させたい、

じれったぁい、自衛隊と己に厳しい位でないと プロ は務まらないという感じに見てとれた。見蕩れてしまいました

イラストレーター に、ソフト でなくて。絵の上手い方は日本中、世界中に ゴマン といるので、少々お絵描きが得意

だから イラストレーター になりたい、という程度では お話にならない。教育テレビ に出演していた挿絵師の方々は

仕事も速く、当然 「絵」 も上手かったが、独り善がりでない独特の個性豊かな表現が出来なければ、イラスト だけで

食べてはいけないのだそうな。写真と変わりがないほど緻密に描く方も居られるが、精密画像であれ 一筆書きの

十秒で描いた単純なものであれ、個性の無い ” ナントカ風 聞いた風 絵画 ” だと、一生下積み生活 が待っている。

自分が好きで書いているのだから構わない、他人に言われる筋合いでない、あなたにだけは言われたくない、

”独自の感性” で個性的な イラスト を描いて何が悪い、などの己の描いた ”絵” を客観的に見られない、自分だけが

個性豊かな イラスト を描ける、他人の描いた”絵” と何処も似ていない、などの 「ひとり贅に入り自己満足へタレ絵」

だと、プロ になどなれないと思いますが。他人の イラスト には厳しく、自分の ”高貴な作品” には歯が融けるほど甘い

のでは上手くもならず、自己評価で ” 個性がある ” と考えた時点で、そんなもの個性でも独自でも感性でもない。

私のように、他人にも自己にも甘いのなら趣味として絵書けばよいが、アナログ の鉛筆書き、マジックインキ、筆描き、

木炭、パステル (土を固めた角棒) などを使って、紙に描く事を蔑ろにしていると壁にぶち当たって挫折、または直ぐに

飽きてくる。ちょっと上手くなりたい、” 優雅風 北かぜ風で、人気イラストレーター 的 な ” 絵を描けるだけでいい、と

考えていると、あっという間に嫌になる。腱鞘炎になるほど練習するのも どうかとは思うが、パソコン作業も絵書きも

楽器の練習も、少しだけ覚えたい興味本位な思いだと、使わなくなった機材、画材には ホコリ が溜まり カビ が

生える。ということで、基本を熟知していないと飽きやすいのなら、高名な美術学校や絵画専門校に入門しなければ

ならない、と思っていたら さにあらず。基本は無駄とは思わないが、それは只の土台であって上物ではない。

基礎知識を覚えれば画材の取り扱いや様々な種類の道具、顔料、絵筆の特性や技法を知ることが出来るが、

イラストレーター への道が開けている訳ではないし、チョイ と絵を書いて生活するのは並大抵ではないのだそうな。

また、なにが描けるか、ではなく、何が描きたいのか、が判っていないと、人まね 猿真似 鬱気 ウッキッキー と何かに

似ている ” 絵 ” になるし、他の方と違う イラスト に、絶対に真似などしない、したくない、できない、己の自尊心が

許さない、先進的で ぶっ飛んだ イラストは貴方達とは レベル が違うのよ ウッホッホー、などと 妄想 していると

何も出来上がらないし、そんな大袈裟なものではないと思いますがね。極端な事を言えば、先人 挿絵師の イラスト の

焼き直しをしているだけ、真似ているだけ、点と線が配置されている その上に色が乗っかっているだけだが、これが

また面白くも単純で難しい。アプリケーションソフト に慣れないと、幼稚園児の お絵かきのような グチャグチャ の絵に

なるが、ダイナミック で エレガント、繊細な色合いに仕上げなければ イラスト ではない、とも云えない。

奥行きの全く無い、色の配置が滅茶苦茶に観える その ” 絵 ” に ヒント があったり、ネタ があったり、誘発されたり、

たり、たりもする。終日 ひねもすのたりのたりかな。

俺には、私には、日本の風土が肌に合わない、似つかわしくない、規制された封建社会主義から抜け切れていない

愚かな日本を離れて、自由で快活な理想の地、アメリカ や ヨーロッパ が、芸術の都、パリ で活動するのが相応しい、

などと、イラスト関係者 や マスコミ に洗脳されていざ出発。何年かして狂って、帰ってまた狂う、いや、戻ってくるのが

関の山。日本で通用しないのなら、他国でも お話にならない。何ができるのか、どのような イラスト を描きたいのか?

日本的な手法? 能書など意味がない、自分の作品は? 己の考えは? どんな表現方法が有るの? と聞かれるのは

当然の事。結果 結果 と流行り言葉のように、サッカー の 試合結果 じゃあるまいし、旧官庁、じゃない、九官鳥 の

ように喋くる その頭には 「結果」 の文字は無し。そんな結果云々など 当たり前 だと思いますが、どうなんでしょう。

日本は豊かで物が溢れ返っているのに、大国 アメリカ や ヨーロッパ は鉛筆も買えない貧しい方々が、自分で考え

工夫して、盗んだ スプレー缶 で壁に落書きのような ”イラスト” を描き、それを温室育ちの日本が真似をする。

己で考えもせず、環境が悪い、この ソフト が使いにくいから、タブレット さえ有れば完璧、パソコン が古いから、

なんたらかんたら 九官島。他国に比べれば天国のような常春環境で文句を言っている暇があるのなら、” 独特の絵 ”

を描く ヒマ など幾らでもある。日本の イラスト、アニメーション界 は優遇も援助もされてこなかったから、だからこそ

世界に通用する独り善がりでない ” 絵や動画 ” を完成させ、今も前進しているのだそうな。ということは、明日の

食事もままならない極貧油絵画家のような暮らしを、消し炭 を使って描くような経験を海外でするのも、ものの見方が

変わり己の良い糧となるかもしれません。食糧が無くて野垂れ死んだら意味がないですが、哀愁の ヨーロッパ で画師、

いや、餓死寸前になって、なにか思いつくかもわかりません。

つづく。